英国の庭から~海外生活ブログです

オランダで還暦を迎えた駐妻。英国での5年弱、2度目の駐在生活を終え、オランダ生活も3年を過ぎてしまいました。けたところでロックダウン入り。できる範囲で何をしようかと模索中。

英国でも「コンマリ」ブーム

年明けからNetflixで配信が始まったとのことで、英国でも近藤麻理恵氏の片付け術(Konmari method)がブームのようです。BBCを始め、先日ご紹介した英国の有力紙のほぼ全紙に記事が出ていました。Netflixの影響力はすごいものです。

 

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Amazon UKのベストセラーになっています

  英国での報道ぶりをみると、おおむね好意的です。特に、捨てるかどうかを「ときめくかどうか」というシンプルな基準にしていることが良いと思う人が多いようです。年末年始休暇中にNetflixを見た人が、チャリティショップに不要品を大量に寄付しているとBBCが報じています。ちなみに英語では、「ときめくかどうか」はDoes it spark joy? と言う模様。

 

  しかし、各紙の記事を詳細にみると、好意的なものから反感を示すものまであり、かなり議論を呼んでいることがわかりました。面白いと思ったのは、いわゆる「タブロイド紙」では記事も読者も好意的でした。その一方でインテリ層が読む新聞は総じて、「注目されている、斬新」と始めながら、「自分にはできないし、する気もない」と否定的なものが多いです。

 

 「興味深いけどね、私にはできないわ、ガラクタに囲まれるのが好きだし」

「屋根裏のガラクタとか、見に行くと全部ときめいちゃうんですもの」

「何もかもときめきすぎて捨てられないわ」

さらに、

「シャツの畳み方の方法もあったけど、そんなことで幸せに感じるとは思えないわ」

 

 よくわかる気がします。英国人の家に行くと、本当に何もかもがとってあり、さらに、古いものを引っ張り出して飾り直したりしています。それでも、中流以上の家にある品物には一点一点に物語があり、ごちゃごちゃしていても不思議と調和している感じ。

 

 まあ、家が広くて、収納場所に困らなければ、がむしゃらに捨てる必要はないですよね。100年以上前の人が、「ときめかないから」とすべて捨てていたら、今の私のアンティーク探しのお楽しみもないわけだし。

 

 近藤氏の片付け術で最も反発を買っているのは、米国同様、本の整理方法です。「読み終わった本、読み終わりそうもない本は捨てる。ときめいた本はときめいた部分だけ切り取って」という作業の結果、近藤氏はご自分では35冊程度の本に絞り込んでいるそうです。それに対して、「そんなに減らせない」、「本を書いた人に対する敬意がない」、「人は本を生涯に何度も読み返す」、「切り取ったら他の人が使えない」等々反論が続出しています。さらに「持っている本がその人を表す」といった哲学論にまで花が広がっています。

 

さて、日本には「物の片づけ技術」に関する先駆者が沢山います。「捨てる技術」の著者で昨年急逝された辰巳渚さん、「断捨離」で有名なやましたひでこさんなど。こういう方々との近藤氏の違いは、やっぱり英語圏でNetflixという新しい媒体にのれたことですよね。そういう意味では、自分がその恩恵に浴せないまでも、メディアやIT技術の進歩を見逃さないようにしたいと思いました。

 

ちなみに私が長年読んできた各種「整理術」本の中で、一番印象に残っているのは、料理研究家で英国骨董の店も開かれている大原照子さんの「少ないものでゆたかに暮らす」という本です。

 

料理研究家として持っていた調理器具トラック2台分を処分し、女性の一人暮らし(といってもお客も考慮に入れて)に使う必要最低限の数まで調理器具や調味料を絞り込んだ様子がすごいと思いました。

 

たとえば、フライパンならテフロン加工の大小2つで十分とか、胡椒は粒を引く方がおいしいけれど、黒と白両方あっても使いきれないし風味が落ちてしまう。ソースを汚さない白の粒胡椒だけにして、使う都度挽くと良いとか、油は酸化しやすいので、小さめの瓶の方が一人暮らしには良いとか、それぞれの理屈が面白く、学ばせて頂きました。

 

 こういう整理術を読んで、自分の身の回りをみると、本当に無駄なものが多くて、もう少し自分に厳しく、物の数を減らすようにしないといけないと思います。といっても、私は本当に「捨てられない」性格。本なんて、35冊どころか、その10倍以上、いや20倍以上かも。まずいわ・・(小説は大半、自炊したのですが・・この話は別の機会に)

 

 この先、ボケてくると失くしものとか見つけにくくなりそうなので、物を減らさないとまずいですねぇ・・

 

 他方、自分以外の人に、物の処分を強要するのは難しいと思います。上記の「全てにときめいちゃうから捨てられない」「いつか使うかもしれない」「捨てた後に後悔するかもしれない」と逡巡する人に、説得しようとしても体力を使うだけだし、その人の持っているものをうっかり「汚い」「古い」「要るの?」みたいなことを言ったら相手を否定することになってしまうし。高齢者なら認知症を悪化させるリスクもあるし。

 

  だから、もしご家族に「捨てられない人」がいたら、極力、見ないことにしましょう。もし、万が一の事態がおきれば「処分屋さん」に委託するという手がありますから。そのための費用を残して頂くようにしましょう。先日も大阪の処分業者さんとお話しする機会があり、日本で売れるものはネット販売、売れないものは海外に輸出しているそうです。

 

それともう一つ、色々な人がつけていたコメントを見ていて「ときめかないから捨てる」という仕分け方法については、考えさせられるものがありました。

 

確かに、インテリア小物とか、時間の経過とともに、ときめかなくなるものもあります。でも、買い物って、誰もがそれなりに吟味して買っているはず。購入後、1~2年で「ときめかなくなるもの」が大量に出るとしたら、それはもしかしたら、「深く考えずに買っている証」ととられるかもしれません。あるいは、「心代わりしやすい人」とか、「人に対してもそうなのかな?」と思われたりしたら、困るし。

 

こうしてみると、上述の「本に対する手荒な扱い」もそうですが、何となく、コンマリメソッドは「知性に欠ける」ととられる懸念があり、これが「日本のスタンダード」とされると嫌だなぁと思います。

 

 だから、物の捨て方としては、「必要がなくなったから」「家の整理をしないといけないから」「この方針でいくつに絞った」のように、人には説明すべきかなぁ・・と思います。その意味では「断捨離」の方がより東洋的だし、そちらが流行ってくれればよかったのに。「もったいない」という言葉も日本的な発想としてもてはやされていることだし。