8月中旬に夫と南仏に旅行に行きました。マルセイユ空港でレンタカーをして前半は東方向のコートダジュール、後半はマルセイユ空港に近いエクサンプロヴァンスで過ごしましたので、少しずつご報告します。
まずは訪問した中では最も華やかだったロスチャイルド家の令嬢が作った邸宅について建物と庭の2回に分けてご報告します。20世紀初頭の大富豪の暮らしをご覧ください。
- フランス・ロスチャイルド家の令嬢の再出発の家
- 敷地全体を旅客船「イル・ド・フランス」に見立てた設計
- フレンチ・ロココ様式でまとめたグランドサロン
- 猿専用の特注椅子がある寝室
- 2階には客用寝室と数々の美術コレクション
- エフルッシ・ド・ロチルド邸への行き方と開館時間
フランス・ロスチャイルド家の令嬢の再出発の家
邸宅は南仏コートダジュールにあります。ニースとモナコ公国の間の小さな半島であり、世界有数の超高級別荘地サン=ジャン=キャップ=フェラ(Saint-Jean-Cap-Ferrat)の丘の上の方にあります。現在、邸宅はヴィラ&ジャルダン エフルッシ・ド・ロチルド(Villa&Jardins Ephrussi de Rothschild)と呼ばれています。
ロスチャイルド家はフランクフルトで財をなしたユダヤ系の一族ですが、初代の遺言に基づき、ドイツ本家のほか、英国、フランス、オーストリア、イタリアに分家を作りました。
この屋敷を作ったのはフランスの家系(フランス語ではロチルドとなります)の2代目で銀行家だったアルフォンス・ド・ロチルド男爵の娘ベアトリス・ド・エフルッシ・ロチルドです。
ベアトリスは1864年にパリ1区の大邸宅(米国が後に大使館として使用した建物で、コンコルド広場の角のあたりにある)で生まれました。母親も英国ロスチャイルド家出身でしたので、生まれながらに莫大な財産をもっており、19歳の時、家族同士で付き合いがあった、ロシア出身のモーリス・エフルッシ男爵という銀行家と結婚しました。
夫は15歳も年上で、夫婦はベアトリスの財産を使って旅行したり芸術品を集めたりと贅沢で優雅な暮らしを送っていましたが、残念ながらこのモーリス、とんでもない男でした。
結婚して間もなく、ベアトリスに性病をうつし(性器結核と言われています)そのせいでベアトリスは不妊になってしまったのです。ベアトリスは終生、結核に苦しみ、最終的には結核で命を落としています。さらにもうひとつ、病的な賭博狂でした。離婚時の負債は現在の価格で3,000万€(35億円)にものぼったそうです。1904年に将来を懸念したロスチャイルド家の訴えに基づき、裁判所は21年にわたる結婚生活の終了を認めました。
1905年には彼女をかわいがっていた父親が亡くなり、ベアトリスはその莫大な遺産や芸術品を相続しました。人生に対する幻滅と傷心の中、再出発をしたいと取り組んだのがこの邸宅の建築でした。邸宅の名前に離婚した夫の名前が入っているのは、ベアトリスが離婚を良しとせず、エフルッシの名前を別れた後も名乗っていたからだそうです。
敷地全体を旅客船「イル・ド・フランス」に見立てた設計
半島は狭く、邸宅の用地は細長い丘陵の上の部分にあります。ベアトリスはモナコやカンヌに保養に出かけてこの場所に目を止め、ベルギー王レオポルド2世がこの土地の取得に関心を示していることを知ると、迷わず土地を獲得したそうです。ただの荒れた岩地だったこの土地ですが、1905年から庭園、1907年から邸宅の工事が始まり、1912年に入居しました。建物だけでも建設に5年もの月日を要したと言うことです。
土地は北以外の3方を海に囲まれた船の形をした丘陵地で、敷地を客船「イル・ド・フランス」に屋敷を艦橋に見立てて設計したそうです。このため、ベアトリスの生前は「イル・ド・フランス」という名前で呼ばれていたようです。
屋敷からの景勝はすばらしいものです。
さて、邸宅までの道は車、またはバスとなります。この日は10時の開館に合わせ、朝一番で行きました。月曜日ということもあり、屋敷の右手の路上駐車場にはスペースがありましたが、見物を終わって戻ったときにはスペースはなく、ここは朝一番の訪問がお勧めです。
全部合わせれば1兆円はするだろうと思える、超高級別荘街を眼下にながめつつ、屋敷の東側にある施設の受付に入ります。土産物コーナーを抜けて、邸宅の入り口に向かいます。
下の左側の写真、赤い花はブーゲンビリア、植木鉢の花はアブチロンです。建物はピンクに塗られていますが、この色は戦後、濃い目の色に塗りなおしたようで、建設当初は黄褐色だったようです。
邸内に入ると、天井がある大きなパティオが広がっています。壁には教会に飾られているような宗教画や彫刻が飾られていて、中世風のいかめしい雰囲気です。
ベアトリスの父、アルフォンソは美術収集家として知られ、フランス中の美術館に芸術品を遺贈したのですが、この屋敷の中にもベアトリスが父からもらったり、自分で集めた数々の美術品が飾られています。お金の使い方が半端じゃなくて、教会のフレスコ画が欲しいとなれば、教会ごと買うといった買い方だったようです。
フレンチ・ロココ様式でまとめたグランドサロン
ここから部屋に入ります。グランドサロンという客間です。この屋敷は各部屋から海が見えます。ゲーム用のテーブルも置かれています。
この部屋のコーナーには2枚のタペストリーが飾られたコーナーもあります。
家具類は革命前の18世紀のルイ16世様式のものが大半ですが、一部ルイ15世様式のものもあるそうです。19世紀の富裕層は、フランス革命前の家具をこぞって買い求めたそうです。当時の富裕層が素敵だと思うインテリアはこういう感じだったのでしょうね。
猿専用の特注椅子がある寝室
こちらはベアトリスの寝室です。寝室からも海が見えます。また、サロンの手前の下の方に足台くらいの小さな椅子があります。ベアトリスは子供がいないため、ペットの猿をたいそうかわいがっていたそうです。この椅子は猿のために特注したそうです。
猿以外にはフラミンゴなどの鳥のコレクションに力を入れていて、南仏には、こちらのほかにもう2か所別荘を持っていたのですが、そこにも大きな鳥小屋を作っていたようです
ベッド脇に置かれた衣装と飲み物のセット。
下は食堂です。やはり海の見える部屋です。隣の部屋には膨大な陶器のコレクションがありました。とても趣味が良くて素敵です。何種類も飾られています。気に入ったら何でも入手しないと気が済まなかったのでしょう。
下はデミタスカップのセットです。1つ1つが素敵なデザインで、見つけて気に入ったら買ったのだろうなと思います。
多岐にわたるコレクションをみているうちに、ベアトリスと同じロスチャイルド一族のオーストリア家の最後の当主が、英国に住んで壮麗な館を建設し、おびただしい数の芸術作品を収集し(それらは大英博物館に遺贈されています)たものの、妻には若く先立たれ子供もなく、「お金はあるのに自分はみじめだ」と漏らしていたという話を思い出しました。この館にも、何か共通した満たされなさが、そこはかとなく漂っていました。
と言っても、20世紀のこの時代、貧困の中、悲惨な人生を送った人が大半だったので、やはりこの方の人生は恵まれていますね。
ベアトリスは1934年に69歳で結核のため、療養のために住んでいたスイスのダボスで亡くなりました。亡くなるまで10年以上、この邸宅を訪れることもなく、死の前年、屋敷とその中の美術品をまるごとフランス学士院に寄付しました。この邸宅以外の資産は弟、そしてその息子が相続しました。
2階には客用寝室と数々の美術コレクション
2階には客用寝室がありました。この屋敷は、一般人の感覚からいえば大豪邸ですが、ロスチャイルド家の規模からすると、女性一人が住むために作った「こじんまりとした館」のようです。だから、寝室は1階の主寝室のほかは、2階に2つ寝室があるだけでした(他に使用人用の未公開の部屋はあるはずです)。
もともとベアトリスの本宅はパリ、そしてノルマンディーのドーヴィル、南仏ではモナコだったようです。このため、ここの邸宅はあくまでも時々滞在する別荘でした(何たるぜいたく)。それでも館の完成した暁にはパリから立派な家具を鉄道で運ばせ、駅でこの屋敷用とモナコの別宅用を分けたりという作業を行ったようです。
ベアトリスは活発な性格で、建物の中で上映されたビデオには、車や飛行機に乗る様子も撮影されていました。また、ピンク色をこよなく愛したそうです。当時は高価だった車も何台も購入していたようです。
こちらは2階から見たパティオの様です。回廊沿いに教会から持ってきたような聖母子像などが飾られています。
南に面したバルコニーにも鉄細工などが飾られています。コレクションは多岐にわたり駕籠(人が担いで運んだ)も廊下に飾られていました。
変わったコレクションとしては、中国の衣装や纏足に興味をもっていたようで、その収集が1階の一角にありました。
2階の南側のバルコニーからはフランス式庭園、東西の海をみることができます。パノラマモードで撮影したので、ちょっといびつですが。
というわけで、次回はこの庭園についてご報告しましょう。
エフルッシ・ド・ロチルド邸への行き方と開館時間
住所:06230 Saint-Jean-Cap-Ferrat
GPS coordinates: latitude 43°6945937 - longitude 7°3292327.
Tél : 04 93 01 33 09
Fax : 04 93 01 31 10
Email : message@villa-ephrussi.com
車で行く場合は、The Villa Ephrussi de Rothschild と入れると経路が出てきます。ニースの町から30分弱です。道路RD6098を通り、敷地内に無料の駐車場がありますが、30台ほどのスペースしかないようでした。
バスの場合、鉄道駅のBeaulieu-sur-Mer station からバス line 81に乗り、"Plage de Passable" という停留所から徒歩6分だそうです。
開館時間:年中無休で朝10時~18時。
ただし、7,8月は19時まで。11月~1月は平日14時~18時。週末は10時~18時。
レストランは11月~1月は週末のみ営業