英国の庭から~海外生活ブログです

欧州調査歴25年以上のリサーチャー兼駐在員妻です。英国在住歴は通算10年。庭仕事のかたわら、言いたい放題つぶやきます。

ウィーンの美術史美術館を堪能する(ウィーン1日目)

7月上旬、娘とオーストリアのウィーンとリンツに3泊4日で旅をしました。今回は、ウィーン初日についてご報告します。ウィーン中心部のホテルに15時近くにチェックインした娘と私は、16時頃から美術史美術館、フンダートヴァッサーハウス、シュテファン大聖堂を駆け足で回りました。日が長い夏だからできることです。冬なら16時には日没でしょう。

訪問先は以下の通り。この順にご報告します。

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見どころが多い美術史美術館

美術史美術館(Kunsthistorishes Museum)は1871年、王宮(Hofburg)の南側に自然史博物館と向き合うような形で作られました。

これは、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が進めたウィーンの都市改造計画の目玉の建築の1つでした。戦法の近代化に伴い、無用となっていたウィーン旧市街の中世から続く城壁を取り壊し、幅広いリンク通りを建設し、それに沿って、国会議事堂、ウィーン市庁舎、美術館や博物館、公園を整備したのです。

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左が自然児博物館、右が美術史美術館。

美術館には、ハプスブルク家が数百年かけて集めた絵画・美術が、その中でも最も価値の高いものが収蔵されました。このため、この美術館はウィーンを訪問する人は必見です。

入場料等の詳細はウェブサイトをご覧ください。

Kunsthistorisches Museum: Kunsthistorisches Museum Wien


開館:火曜~日曜:10~18時(木曜日は21時まで、月曜休)

入場料:大人16ユーロ、19歳以下無料、Vienna Card提示で1ユーロ割り引き

美術館の見どころを大きく分けて言うと、1.絵画(2階、ドイツ語ではEbene1と表示)2.工芸、古典(1階、Ebene0.)3.貨幣(3階、Ebene2)

フロア案内図は以下に出ています。

https://www.khm.at/en/objectdb/saalplan/

(上記のフロア案内の各部屋をクリックすると名画や工芸品の写真が出てきます。)

この中で、最も見る価値が高いとされているのが、2階の絵画コーナーです。絶対に見るべき絵画だけでも約30点はあると言われています。その1つ1つを丹念に見て、さらに工芸品や古代美術、貨幣などをみると2時間半でも足りません。足が当然くたびれるので、カフェテリアでお茶をして、土産物屋をみたりすると半日コース。時間を省略したければ、上記のフロア図であたりをつけて、絞ってご覧になると良いと思います。 

入口と階段にも価値あり 

入口を入ると、その繊細な天井に驚きます。さらに先の階段はクリムトなどの当時の芸術家が装飾を担当しました。階段の上の方の壁画がクリムトの作品だそうです。

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工芸コーナーのお宝に見入る

予め計画が必要だなどと書きながら、実は何も考えていなかった無計画母娘の私達。美術館の入り口を入ってすぐの工芸コーナー(Etage 0.5)にふらふらと入り込んでしまいました。16時過ぎに入場したので、ここでモタモタしている余裕はなかったのですが、何も考えずにモタモタして写真をとってはうっとりしていました。

上述のフロア案内の各部屋をクリックすると、収蔵品についてプロが撮影した立派な写真が出てきますので、ここで時間をつぶすのは禁物です。残念ながら、絵画のコーナーと違って、それぞれの作品のリンクをうまく読みとれませんでしたので、ご関心のある方は、工芸コーナーの各部屋の上をクリックしてみてください。私は半日ほど、これで遊んでしまいました。

などと書きつつ、この美術館の最大のお宝の1つがうまく撮影できましたのでご覧ください。わーい。(単焦点レンズと言うのを使ってみました。オートフォーカスです)

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このほか、XXXI室には歴代皇帝たちを彫刻した凝ったバックギャモンがありました。それぞれの駒は直径4cmほど、1つ1つに恋人たちの様子が掘り込まれていて(中にはかなりセクシャルなものも)面白かったです。

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絵画コーナーは名画ばかり

絵画コーナー(Etage2)は時代ごとに部屋が分けられています。ベラスケスの一連の王子や王女の肖像画のように有名な絵画でも、メインの広い部屋ではなく、その裏側の小部屋にあったりしますので、見落とさないように注意する必要があります。

ブリューゲルの「バベルの塔」と「雪中の狩人」

第Ⅹ室。細かく書き込まれており、漫画のようです。その時代の生活が書き込まれていて興味深く、何時間でも見ていられる感じです。

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Kunsthistorisches Museum: Turmbau zu Babel

Kunsthistorisches Museum: Jäger im Schnee (Winter)

ラファエロの「草原の聖母」

第Ⅲ室。聖母子像はやはりマリア様の顔がきれいな方が良いと思います。ラファエロの各聖母はどれもかわいらしい感じで、欧州各国の王室が競うように購入した理由がよくわかります。

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Kunsthistorisches Museum: Madonna im Grünen

ジョルダーノの「大天使ミカエルと反逆天使達」

第Ⅵ室にあります。これも有名な絵です。大天使ミカエルが降り立つ様子が軽やかでいいですね。

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Kunsthistorisches Museum: Erzengel Michael stürzt die abtrünnigen Engel

アルチンボルド 「夏」「冬」「火」「水」

大Ⅺ室。壁のかなり上の方にあり、見落としがちですので、注意!

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Kunsthistorisches Museum: Sommer

Kunsthistorisches Museum: Winter

Kunsthistorisches Museum: Feuer

Kunsthistorisches Museum: Wasser


 クラナッハのアダムとイブ、ユディット

第Ⅸ室にあります。

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アダムとイブ

クラナッハの特徴かもしれませんが、男性に比べて女性が冷たい感じですね。

Kunsthistorisches Museum: Sündenfall: Adam

Kunsthistorisches Museum: Sündenfall: Eva

ユディト(Judith)

この女性は、旧約聖書外典の『ユディト記』に登場するユダヤ人女性です。夫を日射病で失って寡婦となったものの美しかったので、町を包囲したアッシリア軍の司令官ホロフェネスの夜の相手に送りこまれます。4夜目に司令官が泥酔して眠り込んだところで殺して首を切り落として仲間のところに帰ったという女傑です。105歳まで生きた由。現代なら猟奇殺人犯だと思いますけど、この女性の名前をもらってつけた女性がキリスト教国にたくさんいるということに、西欧人との感覚の違いを感じます。

クラナッハの描いた絵も、生首を手にもって、罪の意識もなく、うっすら微笑んでいるあたり、かえって不気味。

Kunsthistorisches Museum: Judith mit dem Haupt des Holofernes

 

その他 歴史上の有名人物の肖像画

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左からマクシミリアン1世、ジェーン・シーモア、マリー・アントワネット、イザベラ・デステ

第Ⅸ室のマクシミリアン1世(カール5世の父)はハプスブルク家中興の祖です。昔、江村洋著『中世最後の騎士 皇帝マクシミリアン1世伝』(中央公論社)という伝記を読んで以来、興味の対象の1人です。この皇帝は、ハプスブルク家の王子として生まれたものの、その人生は、不幸と幸福が目まぐるしく変わるというものでした。皇帝マクシミリアン1世展が国立図書館で開催されていたので、時間さえ許せば、ぜひ行きたかったところです。

Kunsthistorisches Museum: Kaiser Maximilian I.

中世最後の騎士―皇帝マクシミリアン1世伝

中世最後の騎士―皇帝マクシミリアン1世伝

 

 第Ⅸ室のジェーン・シーモアは、英国王ヘンリー8世の3番目の妻です。ヘンリー8世に唯一男子を産んだことから、英国で肖像画を目にすることが多く、こんなところにあったのか、と驚きました。王妃の侍女からヘンリー8世の目にとまり、前妻のアン・ブーリンを断頭台に追いやったものの、自身はエドワード6世を生んでその床で亡くなりました。儚い感じがしますね。

Kunsthistorisches Museum: Jane Seymour (um 1509-1537)

 第Ⅶ室のマリーアントワネットは説明不要ですね。オーストリアの皇女として生まれましたが、フランス革命で断頭台の露と消えました。この絵はフランス王妃となってからの肖像画です。

Kunsthistorisches Museum: Erzherzogin Marie Antoinette (1755-1793), Königin von Frankreich

第Ⅳ室のイザベラ・デステはルネッサンス・イタリアの有力貴族フェラーラ候の娘として生まれました。マントヴァ候に嫁ぎ、文化芸術の保護者として有名になった人物です。エステ家の直系は18世紀には絶えてしまいましたが、娘がハプスブルク家に嫁ぎ、ハプスブルク家の先祖ということになっているようです。

Kunsthistorisches Museum: Isabella d'Este, Markgräfin von Mantua (1474-1539)

ルネサンスの女たち (塩野七生ルネサンス著作集)

ルネサンスの女たち (塩野七生ルネサンス著作集)

 

 

ベラスケスによる一連のスペイン・ハプスブルク家の王子、王女たち

第12室にあります。これらの絵画はメインのローマ数字の部屋の裏側の窓に面した薄暗い部屋にありますので見落とさないように注意が必要です。

ベラスケスは絵画の天才だと、絵に近づくたびに思います。金モールやレース、ベルヴェットなど、絵から材質が伝わってくるのに、近くによってみるとただの波線だったりするのです。下の絵は青い服のマルガリータ王女の胸飾りです。

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さて、これらの肖像画に描かれているのは、ベラスケスを宮廷画家として重用したスペイン王フェリペ4世の子供たちです。ハプスブルク家は、「戦争せずに結婚せよ」を家訓に王室間での政略結婚を繰り返しました。しかし、この頃には、数世代にわたる近親婚と性病によりさまざまな弊害が出てしまいました。

下の二人はフェリペ4世の最初の結婚で生まれた子供たち。最初の王妃はルイ13世の妹のイザベルで、その長女(下の左側)のマリー・テレーズは無事に成人し、フランスのルイ14世妃となりました。

右の王子は王太子として将来を嘱望されており、乗馬姿など、凛々しい姿で描かれた肖像画がいくつもあります。しかし、気の毒なことに、17歳の時に2年前に亡くなった母親の法事にバルセロナに出かけて、そこで天然痘に感染し、2日程であっけなく亡くなってしまったのです。

Kunsthistorisches Museum: Infantin Maria Teresa (1638-1683)

Kunsthistorisches Museum: Infant Baltasar Carlos (1629-1646)

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左がマリー・テレーズ王女、右がバルタザール・カルロス王太子

フェリペ4世は、跡継ぎがいなくなってしまったことに焦り、後妻をもらうことにしました。そこで、オーストリアのハプスブルク家から息子の婚約者だった王女を自分の妻に迎えることにします。しかし、息子の婚約者は自分の実の妹が生んだ娘だったのです。つまり30歳も年の違う姪と結婚したのでした。

スペイン・ハプスブルク家の不幸は、このフェリペ4世が女癖が悪く、性病を患っており、これが配偶者に感染してしまったことで、よけいにひどくなります。最初の王妃イザベル妃はその結果、流産と難産を繰り返し、それがもとで若くして亡くなります。生まれてきた子供は二人しか育ちませんでした。後妻のマリアナ妃も同様だった上に、彼女から生まれた子供たちには近親婚の悪影響も加わりました。

下の左の3枚はそのマリアナ王女から生まれたマルガリータ・テレサ王女の3歳、5歳、8歳の肖像画と、その弟フェリペ・プロスペロ王子です。マルガリータ・テレサ王女は姉のマリー・テレーズ王女以外では、唯一成人できた子供でした。

フェリペ・プロスペロ王子は、産まれた時から病弱で、魔除けの鈴やハーブ入れをつけた姿で描かれています。周囲の祈るような願いもむなしく、この絵が描かれて間もなく、3歳で夭折しました。末子、カルロス王子は何とか生き延び、王位を継ぎましたが、満足に会話もできず、生殖能力もなかったと言われています。

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Kunsthistorisches Museum: Infantin Margarita Teresa (1651-1673) in rosafarbenem Kleid

Kunsthistorisches Museum: Infantin Margarita Teresa (1651-1673) in weißem Kleid

Kunsthistorisches Museum: Infantin Margarita Teresa (1651-1673) in blauem Kleid

Kunsthistorisches Museum: Infant Philipp Prosper (1657-1661)

マルガリータ・テレサ王女は健康だったこともあり、祖父の神聖ローマ皇帝フェルディナンド3世、父親のフェリペ4世、夫の神聖ローマ皇帝レオポルド1世に愛されました。しかし、15歳で嫁いで6年間に4回、子供を産み、2回以上流産し、喘息をこじらせて21歳であっけなく死んでしまいました。

その性格ですが、家族から溺愛された分、我儘に育ってしまったようです。自分の子供が次々に死んでしまうのはユダヤ人のせいだと決めつけて、ユダヤ人を市から追放させたり、かたくなにスペイン語しか話さなかったりしたので、ウィーン宮廷では嫌われてしまったそうです。まあ、でも、10代後半で四六時中妊娠していたのでは仕方がないですよね。長生きしていればまた違っていたかも、とそんな風にこれらの絵をみると、ちょっと違うイメージになりますね。

さて、美術館の後、路面電車に乗るのですが、その前に機内で昼の時間となり、昼ご飯もあまり食べなかったので早めの夕食を食べました。これについては、前回の食事の物んで報告済です。

 

www.aromioakleaf317.com

 20世紀の公共住宅フンダートヴァッサーハウスに行く

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食事の後、まだまだ明るく日没までに時間があったので、フンダートヴァッサーハウス(Hundertwasserhaus)に行ってみました。これはウィーン出身の天才建築家フンダートヴァッサーがデザインした52戸の市営住宅だそうです。1986年に完成したとのことで、ちょっと老朽化している感じです。

娘はあれこれ写真を撮って悦にいっていました。私も真似してオートモードでとってみました。素人なりになんとなく雰囲気が出てうれしい。

シュテファン大聖堂の展望デッキでウィーンの日没をみる

かなり日が落ちてきたのですが、まだ日没には時間がありましたので、旧市街の中心、シュテファン大聖堂に行きました。

シュテファン大聖堂はヨーロッパで3番目の高さの尖塔をもつゴシック様式の教会です。14世紀に当時のオーストリア大公ルドルフ4世の命で建設されたそうです。中の様子などは、暗くてうまく撮影できませんでしたので、大聖堂のウェブサイトをご案内します。

Domkirche St. Stephan

北塔の展望台にはエレベーターで上がることができます。展望台に上って、夕暮れのウィーンの街をみることができました。

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展望台への上り下りはエレベーターです。5-6人が乗ることができるサイズですので、混雑時には長い列となるかもしれません。幸い、この日は待ち時間なしでした。

 

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教会の屋根瓦の絵柄ですが、左側がオーストリア、右側がウィーン市の紋章です。ウィーンの街並みと日暮れをご覧ください。

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左手奥に見える輪は映画「第3の男」の舞台プラターの観覧車

ちなみに大聖堂の開館時間は長く、次の通りです。

月~土曜 6時~22時 日曜日 7時~22時 

北塔エレベータの営業時間 9時~17時30分 

入場料:大人(15歳以上)6ユーロ、子供(6-14歳)2.5ユーロ

聖堂博物館やカタコンブ(地下墓地)などその他の見学場所もあるため、聖堂のウェブサイトをチェックしてからの訪問をお勧めします。

 16時頃から観光を開始したのですが、気温10度台のロンドンから30度を超えるウィーンに行ったため、暑さに弱い私たち母娘はすぐにばててしまいました。

目抜き通りのグラーベン、ケルントナー通りを通って、途中で買ったアイスクリームを食べ歩き、地下鉄の駅に乗ってホテルに帰りました。