英国の庭から~海外生活ブログです

オランダで還暦を迎えた駐妻。英国での5年弱、2度目の駐在生活を終え、オランダ生活も3年を過ぎてしまいました。けたところでロックダウン入り。できる範囲で何をしようかと模索中。

19世紀に地味になった男性の正装用衣装

今日、午後3時まで休みがとれたので、ビクトリア&アルバート博物館に行ってきました。クリスチャン・ディオール特別展を雑誌や新聞でみて、素敵だったので、見たいと思ったのです。しかし、11時頃到着したところ、午後3時15分以降しか入場できないと言われ断念。

 

せっかく来たので、常設展をみることに。しかし、この博物館、やたら広くて、全部を一度に見ると疲労困憊してしまいます。そこで、今回は英国の衣類の歴史を中心に見学しました。

 

地下通路から博物館に入ると、すぐに1700年代の英国の展示となります。ここにはナポレオン時代、英国ではリージェンシー(摂政時代)と呼ばれる時代と、その少し前の時代の品が飾られています。そこにあったのが、1700年代の男性の正装、宮中に参内する時の衣装です。みてみて。これはフランス製の宮廷服だったようです。

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深緑の地に豪華な刺繍が前後に施されています

まあ、なんて豪華なんでしょう。当時の貴族がとりわけ凝ったのが、ウェストコートとよばれるベストです。一昨年の冬、ベネチアのモニチェゴ博物館にいったときも昔の男性のベストのコレクションが飾ってありました。絹地で花や鳥などがほどこされていいます。

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モニチェゴ博物館のコレクション。

どうやら仕立てる前に四角い布の段階で刺しゅうしたようです。下のはビクトリア&アルバート博物館蔵。

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当時の西洋の男性は、様々な色合いの装飾過多な服をとっかえひっかえ着て、まるでクジャクのように気飾っていたのです。ところが、その後、19世紀になると、男性の服の展示が殆どなくなってしまいます。不思議。

 

そこでせっかく時間もあったので、ナショナルポートレートギャラリーにも寄ってみました。これは1500年代頃からの英国の肖像画ばかりを集めた博物館です。すると、ここでも面白いの。ジョージ4世が摂政になった頃、つまりナポレオンが台頭して、英国と戦争するようになった1800年代の部屋に入ると、男性の服は突然、黒ばかりになってしまうのです。

 

女性の服は、形が変わっても、ずっとカラフルなまま変化してきているのにこれは不思議。しかも、現代の男性の正装って、ペンギンみたいな恰好でしょう?それはこの時期に始まったんだなぁ・・と納得した次第。

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左は英領インド初代総督のウォーレン・ヘイスティングス(1790年代頃)、右は科学者ハンフリー・デービー(1803年)

左の方は花柄のベストを着ていますが、右はベストも黒になっています。理由はわかりませんが、おそらく、市民階級が台頭してきて、汚れっぽく実用的でないシルクの刺しゅう入り布地やレースの襟などが廃れていったのかもしれません。

 

また、この時代、流行の先導役だったジョージ(ボー)・ブランメルという伊達男が、今の燕尾服のように後ろが長く、前が短いもので、濃い色(黒や紺、茶)の上着に白いクラバット(ネクタイの前身)、白っぽいタイトな半ズボン(ブリーチズ)を合わせ、ヘシアンブーツと呼ばれる牛革の膝丈のブーツを合わせるスタイルを流行させたとあります。色とりどりが当たり前の時代に、この格好はむしろ斬新だったのかも。皆がこぞってまねたのでした。

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George "Beau" Brummell, watercolor by Richard Dighton (1805) (Wikimedia)

理由はわかりませんが、これ以降、男性の服は濃い上着中心となり、さらにパンツも同色(同じ生地)になっていったようです。

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1820年に行われた議会でのジョージ4世の離婚裁判の様子。みんな黒い服ですね。

というわけで、今日はここまで。クリスチャン・ディオール展のはずが妙な発見の日でした。