あー私は自他ともに認める「出羽の守(ではのかみ)」でございます(笑)。
「出羽の守」というのは、デジタル大辞泉によりますと、
「1 出羽国の長官。2 《連語「では」と「出羽」をかけて》「海外では」「他業界では」のように、何かにつけて他者の例を引き合いに出して語る人のこと。多くは揶揄(やゆ)の気持ちをこめていう。
とあります。さらにこうも書いてあります。
俗に、何かというと「アメリカでは」「フランスでは」と欧米を例に挙げて、日本は遅れているとけなす日本人をいう。
うーん。これは嫌われますね。嫌われて当然です。
私は、物心ついたときには既に「出羽の守」でした。最初に海外に出たのは70年代初め。小学生の頃。父の仕事の都合で、ドイツ、その後スウェーデンに住みました。実際に当時の日本は生活・文化水準において、欧州よりかなり遅れていたと思います。それだけでなく、ドイツやスウェーデンに住んでいた頃は子供だったこともあって「中国人、中国人」と囃されたりいじめられたことも何度もあったので、劣等感みたいなものを感じていました。
帰国してみると、クラスメートと違って色々なことができなくなっていたので(足踏みミシン、書道、そろばん等々。習ったことがなかったもので)、「ドイツの学校では」「スウェーデンの学校では」と、いつも言い訳していたと思います。それでも、70年代の日本では帰国子女はまだ珍しく、では、では、と連発していても叩かれることもなく、「変わってるよね」ぐらいで済んでいたように思います
その後、90年代半ばに夫の転勤で英国に来ました。帰国後、以前の会社に雇ってもらい、今もその英国拠点で働かせてもらっています。この会社は海外赴任者が多く、大半が「出羽の守」なのです。「出羽の守」同士の会話なので、気兼ねなく「出羽の守」でいられます。おそらくこれが、ここで仕事を続けられた理由だと思います
それでも、日本で子供のPTA活動などをしていたとき、「あの人って『出羽の守』ね。いやな感じ」と言われていたかもしれません。悪口なんてものは、本人には回ってこないものなので、わかりはしません。
90年代の英国は、日本とほぼ同レベルの生活・文化水準という印象でした。それでも鉄道インフラや公共サービスは格段に日本の方が上でしたけど。しかし、インテリ層はともかく、一般の英国人は日本をかなり下に見ていたように感じていました。「日本出身です」と誇らしげに言えるかといえば、微妙。
今回の英国生活ではその部分が一番違う感じがします。今、多くの人に「私は日本人」というと、いや、今は言わなくても「日本人でしょ?」と聞かれることが多く、さらに相手から「日本好きだ」「日本食はもっと好きだ」「日本に行ってたことある」「日本に行ってみたい」「日本の〇〇が好き」と好意的な発言が出てきます。明らかに日本の評価は高く、彼らの関心対象の国であることが多いのです。いきなりバスの中で呼び止められて、日本語の文章の意味を聞かれたことも何度もあります。
そして、実際に住んでみても、色々な面で日本は英国より進んでいると感じることが頻繁にあります。もちろん、今でも英国には、特に保守層には英国至上主義の人が多々います。それでも、最初に欧州に出てから約50年になりますけど、初めて「欧米を例に挙げて、日本は遅れているとけなす日本人」ではなく、「欧米を例に挙げて、日本は進んでいると持ち上げる日本人」になったという感じです。
今回の英国生活では、これが一番良かったと思う点です。
とは言っても、帰国しても「英国では」と言い続けることには違いないので、やっぱり「出羽の守」でございます。おほほ・・